菊の盛りは秋、冬になってもまだ咲く菊のことは残菊、晩菊、寒菊と呼ばれます。小菊は比較的寒さに強いですが、それにしても今年は年も越したというのにまだ葉も青々として、花もこんなに元気に咲いています。
菊という字は散らばった米を一か所に集める様を表しています。
赤い舌を出したみたい。そして下の写真のようになりました。
花の構造
キク科の植物は「頭状花序」という枝を介さずに沢山の花を付ける形態です。この沢山の花を「小花」、枝の先端が平たんな部分を「花床」と呼びます。外側の舌状花と黄色い筒状花があります。
小花は雌しべ 雄しべ、花弁 冠毛(他の花では蕚にあたるところ)子房(種子になるところ)からなり、花床に並んで総苞に包まれています。
筒状花が開いてきました。花柱が伸びて花粉が押し出されてきます。おおよそ2日後に花柱は成熟して先端がT字になり成熟しますが、その頃には花粉は受精できないので自家受粉は出来ません。他の花の花粉でしか受粉できないようになっています。下の写真では花柱がT字になっています。
花びらは何枚でしょうか
数えられませんよね。
答えは5枚。キクは沢山の花の集まりです。舌状花は5枚の花びらがくっついたものなんだそうです。筒状花をよくみると先が5つに分かれています。
参考にしたのは・・大坂経済大学の西山豊さんの「数学戯評」
www.osaka-ue.ac.jp/zemi/nishiyama/gihyo/gihyo5.pdf
江戸時代の園芸ブーム
原産は中国で交雑種が朝鮮半島を経由して日本に来たのは奈良時代とも平安時代ともいわれています。その頃の菊は薬や観賞用として貴族に人気でした。江戸時代の前半は樹木、後半は草花の園芸ブームが起きました。それまでの一部の人たちだけのものから、花好き将軍様から庶民まで皆大好きという園芸ブームはいいですね。吉宗によって整備された飛鳥山の桜のほか、菖蒲や藤や桜草、躑躅など一種類の植物を集めて作ったテーマパークや花の名所もたくさん作られました。草花の中でも朝顔、花菖蒲、菊が特異な発展を遂げました。
「菊合わせ」という品評会が開かれ新種が発表され、仕立て方の様式が発達して菊人形なども盛んになりました。藩が育種に力を入れたり(1)、園芸本が発行されたり(2)、御家人の内職になったり、植木鉢が出来たことで庶民も花を手軽に育てられるようになりました。
(1) 肥後藩の椿、山茶花、菊、芍薬、朝顔、菖蒲。伊勢菊、撫子、花菖蒲。久留米躑躅など
(2) 1681年発行、日本最古の園芸書、水野勝之著「花壇綱目」
日本の場合は変種がもてはやされる傾向があって、大金が動きました。お金の単位が使われてる名前の付いたものもありますね。その反面、単に植物を育てるというより、教育や教養として、また文化、芸術、娯楽など多方面の位置づけもあり、平和が訪れた江戸時代の人達の精神的な豊かさは私たちの想像以上だったような気がします。
さらに輸出されるようになり、菊はその中でも人気でヨーロッパに盛んに輸出されました。中国から渡来した時には人気がありませんでしたが、日本の「古典菊」は大人気。ヨーロッパ、特にイギリスで育種が盛んになり多くの品種「洋菊」が生まれました。中国原産の植物はとても多く、日本の気候になじんだ多くの帰化植物がありますが、菊のように中国に逆輸入された植物も多くあります。
こうして今色々なキクが楽しめるようになりました。
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